「消費者が完全に満足する商品を消費者と一体になって開発・改良し続け、通信販売で提供していく」「商品の企画・開発は自社で行うが製造に関してはその商品に最もふさわしい工場を見つけ出して協業する」――。体や環境に優しい化粧品開発にこだわり続けるネイチャー生活倶楽部(熊本県菊池市)は、この道の先駆者である再春館製薬所でマーケティング業務を担当した垂水和子社長が創業した。まだ設立10年ほどだが売上高は10億円を突破、経常利益率は過去3年連続して10%を超える高付加価値企業だ。
売り手市場から買い手市場に急速にパワーシフトしていく中で21世紀型ビジネスモデルである顧客密着指向、市場細分化、コラボレーション(協業)、という3つの要素を極めて戦略的に取り込んでいるとして、IT経営百選の最優秀企業に認定された。創業者としてこだわりの経営、独自のビジネスモデルを創り出した真意は何か、情報活用をその戦略の中でどのように位置付けているのか、本音を語ってもらった。(聞き手はITジャーナリスト・上村孝樹)
■女子高の教員から化粧品会社に転身
――ネイチャー生活倶楽部さんは設立10年目ということで、まだまだ日が浅いともいえると思うのですが、売上高はこのところずっと10億円をオーバーしておられますし、経常利益は1億円以上。経常利益率10%の大台をクリアしてます。非常に立派な経営をやっていらっしゃるということで、IT経営100選の最優秀企業に認定されました。本日は、その成功に至るまでの経緯を中心にお聞きしたい。どうぞよろしくお願いいたします。
垂見和子社長(以下、垂見)どうぞよろしくお願いいたします。
――10年という短い期間で好成績を維持できるようになったいきさつを、順を追ってお聞かせください。まず、垂見社長は、ネイチャー生活倶楽部を設立される以前は何をなさっていたんですか? ネイチャー生活倶楽部のような化粧品の開発販売のお仕事をされていたんですか?
垂見 4年間教員として働いた後に企画に興味を持ちまして、一時期は化粧品関係の企画をやっていたんです。
――元は学校の先生だったんですか。
ネイチャー生活倶楽部の垂見和子社長
垂見 私立の女子高校なんですけどね、国語を教えていました。生徒さんたちと勉強したり、遊んだり、クラブを作ったりと、楽しかったですね。でも、自分の興味のためにいろいろなことをやりたいなぁと思いまして、辞めさせていただきました。
それから、化粧品関連の企画の仕事をやっていたんです。そこはサロン販売でしたので、イベントをやったり広報誌を作ったりという仕事がありました。イベントを開催してたくさんの人を動員して、いらっしゃったお客様に後日アプローチするというやり方でしたので、何か「待ち」のようで、もどかしい思いがありました。
そのころ、アメリカのダイレクトマーケティングの情報が入ってきました。「アメリカは広いから通信販売が発達しているんだろうけれども、化粧品で本当にいいものであれば、広告とかを打って、全国に、例えばサンプルなんかをお届けできたらいいなぁ…」と思っていたんです。
そうしたときに、たまたま、美容院で婦人向け雑誌(女性自身)を見ていたら、考えていたそのまんまの広告があったんです。「小じわが気になる方、サンプルを試してみませんか?」と。それが、熊本にある化粧品会社、
再春館製薬所(ドモホルンリンクル)だったんです。
――自分でやりたいと思っていたことをやっている会社を、雑誌の広告で偶然見つけたんですね。
垂見 ええ。「あーっ、やっているところがあるんだ!」って。それで、友達を介して、そこに入ったんです。
――垂見さんは熊本のご出身ですよね。
垂見 熊本です。勤めていた女子高校も熊本でした。その後少しだけ東京に出たこともありましたけれども。それ以外はずっと熊本在住です。だから情報が不足していたので何か新しいマーケテイングがあるんじゃないかとは漠然と思っていたんですけど、それが地元の熊本に実際にあったというわけです。
――地元の企業に最先端のマーケティングをやっているところがあった、ラッキーでしたね。それはいつごろのことだったんですか?
垂見 1984年(昭和59年)ごろでしょうか。そのころの再春館製薬は、まだ月の売上高が5000万から6000万円くらいの小さい会社でした。化粧品でも、まだファンケルやDHCなども出ていなかったころですから。
■テレマーケティングの強化に明け暮れた8年間
――当時の再春館製薬は、製薬会社だったのを化粧品の分野に進出してきたんですよね。
垂見 はい。今の再春館製薬の社長は、いろいろな会社を買収していて、その中の一つが元々の再春館製薬だったんです。再春館製薬は買収される前から、いわゆる生薬製剤の医薬品の認可をいっぱいもらっていて、その中に「ドモホルンリンクル」があったんですね。
私は知らなかったんですが、当時も深夜放送などで通販のCMを入れていたそうなんです。その後会社の買収があって、買収先の社長が目をつけたのが、そのドモホルンリンクルのクリームだったんです。
――そうでしたか。
垂見 再春館製薬に入ったころは、今でいうダイレクトマーケティングのはしりのようなこと、テレマーケティングですね、それを始めたところでした。サンプリングをやって、電話をして、引き上げる、ということを初めて導入したころでした。売り上げは月5000万円くらいで、これから大きくするぞというときでした。
――新ビジネスの創世記というべき、ダイレクトマーケティングのスタートのときに入社されたということですね。担当されたのは具体的にどんな仕事だったんですか?
垂見 一番最初にやったのが、広告の仕事ですね。一番興味のあったところですね。お客さまの入口です。
――新聞の広告や、テレビのコマーシャル、スポット広告などを担当されたのですか。
垂見 そのときは雑誌の広告が中心でした。まだ新聞広告の仕組みを知らなかったので、地方ブロック紙、全国紙と、勉強していきました。
そろそろテレビCMを出そうかというときも、今みたいに化粧品の通販なんてなかったですから、2、3分くらいの長さでCMを流さないと注文の電話なんて来ないんじゃないかと思っていました。でも時間が長いと高くなりますから、90秒ということで落ち着いて、できるだけアピールしようと原稿をいっぱい書いてCMを作って流しました。それからは、30秒とか45秒とか、いろいろなタイプのスポットを流すようになりました。
――化粧品分野の通販のスポットコマーシャルの草分けでしたね。
垂見 そうですね。
――マーケティングのお仕事は天性のものがあったのでは。
垂見 それほどでもないですが、父がずっと商売をしていましたから。最初は地元の工芸品のうちわ屋で、それがだめになってきたら、質屋でした。質屋は一時は良かったんですけど、消費者金融が台頭してきて、全国の質屋がだめになってきまして、次に質流れの中古品の販売をするようになったんです。それがまただめになると、塗装の仕事に…。そうやって、どうにか時代に乗って商売を続けてきた父を見ていましたから、自然に商売に興味を持っていったんですね。
――再春館製薬で働いていたときに、いずれは自分も事業を起こそうという気持ちがあったんですか?
垂見 いやぁ、そのときは、まず自社のテレマーケティングを日本一にしようということしか考えていなかったですね。ただ、それを続けていっているうちに、だんだん「これでいいのかな」という気持ちが出てきたんですね。「自分はここで必要なのかなぁ…」と。そう思えてきた頃に病気になりまして、会社を辞めさせていただいたんです。
――そうすると、再春館製薬には何年いたんですか?
垂見 8年間です。
――辞めるころの売り上げはどのくらいだったんですか?
垂見 100億円を超えていました。
――8年間ですから、すごい急成長を実現させた。
垂見 そのころの目標が売上高100億円でしたから。
――確か利益もすごかったんですよね。30%ぐらいの信じられないくらいの利益率だったのではないでしょうか。
■「シャンプーは洗剤じゃない!」――憤りからスタートした会社設立
――超高収益の化粧品会社を辞められて、その後すぐに、ネイチャー生活倶楽部を作ったんですか?
垂見 いやぁ、辞めたときはそういう気は全然なかったんですよ。通販のコンサルティングでもしようかなと思ったんですけど、なかなかうまくいかないし。まぁ、そういう器じゃなかったんでしょうね。
ただ、再春館製薬では1日20時間働いていたような感じでしたから、周りのことに目を向ける暇がなかったです。それが辞めてから、何にでも感動するようになっていたんですよ。「ああ、お日様がきれい」「お花がきれい」「自然がきれい」って。今、考えると、それまでは、ずっと部屋に閉じこもっていたようなものでしたからね。なんだか自分に回帰したという気分でした。
そのころ、知り合いが天草で海水から天日干しの塩を作っていたんですが、「一度来てごらん」といわれてまして、行ってみたんです。そうしたら、きれいな海で、塩の結晶がきれいにできていて、なめてみたら、これがおいしい。体が元気になるみたいにおいしかったんですよ。
――古代製法の塩ですか?
垂見 そうです、そうです。「塩」っていうと、専売公社の塩しか知らなかったんですが、「これはミネラルがこんなにたくさん入っている塩なんだよ」と教えていただいたんです。
それから次に、阿蘇のふもとのお茶畑にも行きましてね。たくましく雑草の中で共生させながら、まったく農薬を使わないで育てているところなんです。私は、こういうことを知らなかったなぁと。
そういう気持ちが高まっていたときに、妹が抜け毛で悩んでいて、私自身もちょっと髪が薄いな…、という感じで、結構薄毛だったんです。そこで、いろんなシャンプーを試してみたんですけど、よくはならなかったんです。
たまたまメーカーさんとお話しする機会があって、「何かいいシャンプーはないですか?」ってお聞きしましたら、「シャンプーは洗剤と同じようなものだから」と言われて…。じゃあ、「リンスは?」とお聞きしましたら、「リンスは車のワックスみたいなものだよ」と言われちゃったんです。
それを聞いて、なぜか非常に憤ってしまったんです。私がずっとマーケティングをやってきた「カン」みたいなものだったんでしょうけど、そのとき「ちゃんとしたシャンプーを作らなきゃいけない!」って思ったんです。
――いよいよ、「そのとき」が来たんですね。シャンプーや化粧品を作って売るために再春館製薬を辞めたのではなくて、塩の話からお茶へといって…
垂見 ええ、今につながっていったんですね。
――結果的には、前の再春館製薬と近い分野で創業ということになったんですけど、ある意味偶然が重なった、ということだったんですね。
垂見 父からは、「絶対に再春館製薬様に砂をかけるようなことはするな」と言われておりましたが…。
――いままでお世話になったんだからということですね。
垂見 はい。それは、私も重々承知はしていたんですけど、どうしても悩んでいる人がいるんだし、思い切ってシャンプーだったらできるんじゃないかと思い始めたんです。
――最初はシャンプーを扱う会社をやりたいということだったんですね。
垂見 ええ、憤って、いいシャンプー作るぞ…という意気込みで始まったという、それだけでしたが。
――抜け毛になりにくい良いものを作りたいということでしょうか?
垂見 何とかしなくちゃって気持ちですね。洗剤やらワックスやら、そんな現状のシャンプー・リンスには憤ったし、自分自身の問題として、抜け毛の少ないシャンプーを作りたいと思いました。